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  • 執筆者の写真ERIKO

なるべく酒で誤魔化して日常を過ごす〜という事がいやなので、昨夜は家での飲酒はしなかった。誤魔化す〜とは思って無くて、単にアルコールが好きなわけだが、心が落ちてるときにそれをやると、あられも無い酷いことをしでかし続けてるので(笑)、やはり、あまり良い酒では無くなる


幸せだった頃は、飲めば楽しい酒で、遠隔飲み会なんかもやってたんだけどね

あの日は、何処へって感じ(爆。酷い話なんだけどね、現実なんだよね。笑)


何よりも、天国から見られてる気がして、やはり気が引けるしね

ちゃんとしなくてはいけない〜と毎日毎日思うのだが、ダラダラした日は続く


以前よりは、何度も目が覚めることも少なくなり、タロー君を思い出して夜中に目が覚めることも無くなってきた


けれど、やっと現実に気がついたらしい2匹の猫達の行動をみてると、また泣けてくる


タロー君がもうこの家には帰ってこないことに気づいた、残された2匹の猫、ハナちゃんとメル君は、メル君のグルーミングの相手が居なくなり、以前から時々は見かけていた、ハナちゃんへのアプローチに変わっていくようで、先ほどは、ハナとメル2匹でお互いをグルーミングしあっていた


猫は猫なりに、タロー兄ちゃんが居なくなった事への自分たちの立場の変化を感じているように思う。


メル君には「これからは、メルちゃんがお兄ちゃんなんだよ〜」と語りかけてるしね・・・ そんな残された2匹を見ていると、これまた胸がつまってしまう


猫達を、自分の家族だと思った事は今まで無かったのだが、タロー君が居なくなったことによって、そうか〜私達は一人+3匹で、ひとつの家族だったんだなと今頃気がつく


彼らは、私の話し相手で有り、心の支えであったことを知る


どうしてもっと、そんなタロー君をもっと抱きしめておかなかったのかと、後悔する


空気のような存在だった彼らを、特別に可愛がることもせずにね


そして


その思いは、私のいろいろな考え方を変え、自分がしてきたことやしようと仕掛けたことを省みさせてくれる


普通に暮らしていた、それら空気のような存在が、ある居突然居なくなる、消えてしまう〜という事についてだ


そのことが、如何に悲しく苦しく、傷つき、絶望の淵へと落とされるかを知ることになる


物事に、別れは付きものなんだけれどね

けれど、それが如何に辛く悲しく深い闇の中におとしめるかを、私は今まで知らずに居たのかもしれない


当たり前が、当たり前で無くなる


少なくとも、自然の摂理は別としても

それらの別れは、出来るだけ少ない方が良いんだなとね


少なくとも結果的に、そうなる事を自分からしてはいけないんだなとね


人には、なるべく悲しい思いをさせない方が良いからね

自分だけならば、まだ良いんだけどさ


他人を巻き込んでの別離は、かなり罪が重いことを知るわけです(笑)


そう考えると

「家族を作る」という行為は、そういうことなのかなと思う


今まで、それを考えたことも無いんだけれど

社会での最小単位の「家族」という群れは、Keepという事の訓練の場なのかもしれない


自分は、そこを拒否して生きてきた人間なのでね


けれど、タローを失った今、その意味にやっと気づくことになるなんてね


割と笑えますけどね(笑)


守る、囲う、助け合う、励まし合う、喧嘩し合う、わがままを言う、甘えてみる、etc. 壊してはいけない〜というその最小単位の社会の中で、どうやってその関係をKeep

し続けて生きていくか

その訓練の場所が「家族」という事の意味と有り方だと言うことを、今頃知ることになる


けれど、これもブログには書いてるけれど、元はといえば私のバックボーンに問題があるわけで(笑)、どんな親にどんな風に育てられたかが重要に成ってくる

そして、それらは選ぶことが出来ない


そして、子供の頃の環境やどんな親に育てられたかが、自分の無意識のうちでの人間形成に大きなポイントを占めているかも、私なんかはごく最近気が付いたわけでね


どうして、私はこんなに世の中の流れと同じように生きていけないのか〜

どうしてこの世は、私にとって生きにくいのか〜は

それら子供の頃の環境に大きく関係してることも、本当に最近知ることになったわけでね


そう言う意味では、やはり親の責任てとても大事だし、その親のバックボーンもとても影響しているわけでね

ただし、よっぽどの意識が無いかぎり、自分の無意識の中に根付いた背景というのは、認識できないように思うしね


そう言う意味では,親になり子供を育てる資格〜(笑)なんてのは、殆どの人が不合格かもしれない


それは、もしかしたら、そんなことを意識して無くても、自分が「親」という立場になってから気がつくことなのかもしれないしね



そう言う意味では、私は人間として欠落している部分があったのかもしれないと、最近思うようになった


親にならなかったことによる、利点もあるけれど、属に言う「人間としての完成度」(笑)という意味では、もしかしたらば未熟な部分があるのかもしれない

それは、属に言うところの「許す」という考え方かな〜

家族は「許す」、という大きな合理点を持ってないと、営んでいけないからである


嫌になっても、逃げ出すことの出来ない「家族」という単位を継続していくためには「許す」ことと、「曖昧にしておく」という部分が無いと、やっていけないだろうしね


その部分は、大人になって社会に出たときに、もしかしたら一番大事な処世術になっていくだろうしね


だからさ

自分の居場所が与えられなかった子供達や、親から愛をもらえなかった子供達の心の痛みは、今はとても良くわかるのね


けれど

人間だからね(笑)

完全な親は、この世にはいないんだろうしね



支離滅裂な話になってきましたので、この辺で止めておきます(笑)


たった1匹の動物の死でしょうが

私には、そこから拡がる沢山の思いが、人生の大切な事を気づかせてくれるという話であります


さて


今日こそ、泣いてばかり居ないで何かをしないと

本当に、廃人になってしまいそうだからさ(笑)



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