お昼過ぎに目が覚めて、ネットのニュースをみてたら弘田三枝子さん死去の文字が見えた 夜になって、改めてYouTube弘田さんの歌を聴いたりしていた
世の中は、歌謡曲を歌っている弘田さんに注目が集まっているけれど、やはり本来のJazzシンガーとしての歌をもう一度聴きたくて順番に聞いていくと、とても良いTakeの映像があったので、ご紹介まで・・・ 多分、TBSのサウンドインSという音楽番組だと思う
昔〜
18歳になる前?くらいの時に、ある方のレコーディングのお手伝いをしに、昔のコロムビアレコードのスタジオに、2日間ずっと居続けたことがあって
よく考えると、それが私が初めてレコーディングスタジオ〜と言うところに行った時だ
(そうだ、17歳の初めだ。高校在学中だ)
その時は、まだ私がスタジオミュージシャンという存在すらを知らない頃なので、そのスタジオにいたドラムの岡山さん?とか、ベースの荒川康男さん、とか(今考えると、二日目は、石川晶さんと、寺川さんだったような気がする)
そしてその時のディレクターさんは、故・多田さんという方で、後に、私がスタジオアレンジャーになってから、再会するわけですが・・・・(ま、この話は置いておいて)
で
その時にね、ラテン・パーカッションの方がいて、確か川原さんて方だったと思うのです
川原兄弟〜って周りの人は言ってたな〜
なにせ、まだスタジオミュージシャンおタクになる前なので(笑)、確か1日目は、その川原さん、二日目は中島御さんだった気がするのです
で、その川原さんが、アシスタントをしていた高校生の私に「ミコちゃんに、似てるね〜」と話しかけてくれたんですね
その「ミコちゃん」というのは、当時の弘田三枝子さんの呼び名だったのです
だから、私の中では弘田さんの事はとても印象に残っている事もあり
ま、詳しくは書きませんが、その後の私のスタジオワークにおいても、間接的に接点があるような無いような〜という方でありました
そして、最近になって、ある方々との出会いと再会から、また弘田さんの話題も頻繁にでていたりしたので、今日の訃報はビックリしたわけです
さっきまで、Youtubeを順番に聞かせていただいてると、この当時の洋楽が得意だった歌い手さんの、在り方見たいのが良くわかりますね
みなさん、この時代のジャズやポップスが得意なんだけど、やはり歌謡曲を歌わなくてはならない現実〜みたいなことでしょうかね
けれど、この動画を見てお分かりのように、この時代はテレビ番組でも、Jazzをテーマにしている番組も、割とあったので、
そして、私達はこれらを観て青春時代を過ごしてきたので、Jazzが特にお得意だった弘田さんは、この後も、ご自身のalbumではフィーリング抜群の、日本人離れしたネイティブな歌を歌ってらしたように思います
ただ、ご存じのように〜日本は年々、いや、ガクッと(笑)音楽環境の質が変わってきてしまい、このような音楽がちまたには流れなくなってしまったわけですね
本当に、それは私達にとっても残念なことなんですけど、ま、時代ですから仕方が無い
でも、私達世代はこれらを知っているので、まだまだアメリカンなポップスやジャズが流れていた、とても日本が良い時代を体感しながらここまで来てるのでね
そして、やはり弘田さんの抜群に上手い歌を再確認しながら映像を観てました
想像でしか無いですけれど、やはり天才って沢山の葛藤があるのでしょうね
私達のような凡人にはわからない苦悩や闘いやね・・・・
でも、だからこそ、こんな素晴らしい歌も歌える〜のですね
アメリカの臭いが沢山する弘田さんの歌
日本があの当時のまま、洋楽が流れ続ける音楽環境であったならな〜と想いながら、この40年間の音楽の世界の履歴を振り返ってました
どうぞ安らかに
合掌
P.S.
機会があれば、女性同士として一度お話ししてみたかったな・・・
素敵な方だったんだろうな〜
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