人と再び繋がり始めてるのに
余計に孤独を感じるのは何故だろう
自分の孤独は
今に始まったことでは無いから
そうではなくて
その事で相手の孤独を感じる
人が私の気持ちを分かってくれないと思ってるように
私も相手の本当の気持ちは分かってないないんだな
と、思った
私はほぼ、裏表なく
建前本音もなく(笑)
誰とでも接するから
でも、相手はそうじゃないんだなとね
きっと
話しても分かってもらえないと思う事が究極になると、何も話さなくなるのかもしれない
私がこんな風にしてるのは
まだ何処かに可能性と希望が残ってるからなのかとね
このまま先に進むと、どうなるのかな
私の孤独なんてもんじゃないくらいの孤独を抱えてる人は沢山いるんだろうなかとね
まだ、人間に期待を残してるから
私はジタバタしてるんだな
とね
もしかしたら
みんなは
私の悩みや苦しみなんか
比較にならないくらいの事を経験してるのかもしれない
ただ、黙っているから
私が分からないだけで
だから
人の心の中は
誰にも分からないのかもしれない
隣で
日々痩せ細っていく
猫のタローが寝ています
私には
もう何もしてあげることが出来ない
覚悟はできてるからさ
人間も動物も
最期は同じ気持ちになるんだなとね
私は私の役目を果たさないとならない
父の時と同じ気持ちなのだ
猫でも、人間と同じなのだ
自然に朽ちていくものを
誰も何も、どうすることもできない
それが、自然の摂理なのだ
せめて、せめて苦しまなく、痛くなく
安らかに息をしてて欲しいと願うしかない
この先
私にとっての初めての経験が待っている
しっかりしなくてはならない
ある意味
自分の事どころじゃないのだ
日常をこなしながら
仕事をしながら
永遠の別れの準備をしている
いや
永遠の別れじゃない
ひと時の別れだ
また、向こうの世界では会えるかもしれないからさ
これも
今生における試練なんだろうな
写真は
新しく買ったトルコブルー色のお皿
思ってたよりも小さかった💦
自分で決めた生き方なんだから
全うしなくてはならない
分かってはいるけれど…
人にどうやって甘えて良いのか方法を知らない
これも、幼少からのトラウマなのだ
仕方がない(笑)
誰にも遠慮せずに大声で笑い
大声ではしゃぎ
堂々と楽しみ
こんなに幸せで
こんなに愛に溢れてるんだゼ
と、叫んでみたい
誰に何を気兼ねして生きてるのか
せめて
そのストレスだけでも逃したい
おおらかに
自分の人生を謳歌したい
それを
出来ないことが
今の私の最大の苦しみなのだ
何故駄目なのか
何故…
私にも幸せになる権利はあるのにね
そして、すぐそこに幸せはあるのに
掴めない
幸せは目の前にあるのに
P.S.
そう言えば
昔
人との付き合いも合理的にしてると言ってる人がいたな
この人とはこの部分
この人とはこの話
みたいにね
この人と、この話をしても意味ないから〜みたいなことなんだろけれど
分からなくもない
そうやってると、無駄なストレスは無くなるだろうからね
1人の人で、すべてを賄おうとするから無理が生じるって意味なんだろうね
理屈としてはね
けれど、人間には感情がある
機械じゃない
でも
特殊な脳の作りな人達には
外での出来事、社会生活はかなりの負担らしいからね
混乱し始めると、脳はヒートアップしてしまうらしいから
処理しきれなくなるらしい
その時はね
人間を自分の都合で分類をしながら
付き合うなんてね
なんて思っていたけれど
今は少しは分かるかな(笑)
自分のへの負担が少なくて済むという意味ではね
いろんな意味で、一杯一杯になると
色んな意味でエネルギー、パワーが足りない人達なんだな、それらの人たちの脳はね
けれど
私は1人の人と
とことん付き合うのが
私の流儀だから
上辺の付き合いならば
その分類的付き合い方〜で良いんだろうな
はなから
1人の人間に
すべてを期待しないという意味ではね(笑)負担は少なくて、楽に生きられるんだろうな
けれど、それは深くはない
楽だろうけれど
それは私には意味がない
切磋琢磨してこそ
人間なのだからね
脳のパワーは必要です
肉体よりもね(笑)
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