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  • 執筆者の写真ERIKO

後悔

昨日の父の日(アメリカ時間だと今日)で、アメリカのいろんな人々が、お父さんの写真を載せて、Happy Father's Dayとお祝いをするのね


アメリカかぶれの私も、真似して初めてやってみた


死んだ親父の写真を眺めてるうちに涙が出てきた


親孝行したい時に親はいず

とは、よく言ったもんだ


今でしか気づかない事が沢山ある

今だから伝えられる事がたくさんある


私はアメリカスタイルで育てられたので

親元を離れたのが早かった


20歳、成人になったら独立しなさいと言われて育ったので、ある意味私が本当の意味で、大人になってから父親とゆっくり話をした事は、少なかったように思う


私が1度目、初めてアメリカニューヨークに行った時には、まだ親父は健在だった


そして、2回目のアメリカ渡航の時には、父はもうこの世にはいなかった

まさかニューヨークで自分のアルバムを私が録音することになるなんて親父が知ったら、さぞかし喜んでくれただろうなと、今は思う


そして、

時間は戻りますが


私が幼少期を過ごした立川の家を引き払って、両親が祖父母の住んでいた家を建て直して越してきてからは、私が独立してから住んでいた住居と、とても近くに住む事になるのですが


いつだったかなぁ〜


母親が大腸癌になって入院した時かな…

2006年頃かな


父親がポロっと私に

「もっと早く、三人で暮らすようにすれば良かった…」と呟いた


両親が移り住んだ家は、とても狭くて

どう考えても、父母私の三人で住めるような家ではなかったし、私はずっと仕事が忙しかったので、仕事場でスタジオでもあるスペースは別途必要だったらね


けれど、歩いてもバスでも

すぐに飛んで行ける距離だったので

私は週に一度は、親の顔を見に行っていた


そんなことを

懐かしみながら、ここ数日は

父親の写真を見て考えていた


アメリカが好きだった父親


今、私がそれに輪をかけたようなアメリカかぶれな事を知ったら、さぞ喜んだと思う

蛙の子は蛙だ(笑)


まさか、娘が英会話を習いに行ってるとは思いもしなかったろうしね(笑)

今、父が生きていてくれたら

めちゃ、英語の勉強の相手として英語で喋りまくって、しかも教えてもらえていただろうしね


他にも沢山、父とは話したいこともあったし、やり残したこともある

出来れば一緒に、アメリカにも旅行したかったしね


ごめんね…


一番のごめんねは…

今、私自身が幸せでないことかな(笑)

人には話せない苦悩を抱えて生きてる、ここ数年、いや、ここ十年に関しては

天国から見てる父親は心配しているだろう


明るく笑って楽しく父親を思い出せる日々に戻りたい

今は、そんな気分です


写真は

仕事場で、何かを表彰されてる時の父です

勿論、アメリカからの賞状です


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