昔、若い頃は、そろそろかな〜って思うと何か新しい展開が向こうからやって来て、渡りに船なことの連続で生きて来た部分がある。それは、仕事もブライベートも両方ね
だから、転換期の切り替えはサクサクと進んだし、過去の事に、想いにふける時間もないくらいに展開は早かった
それは、わたしの腰が軽くて、アクティブだったからではなく、若さのせいだと思う
若いというだけで需要というのはあるものだ
それは、特別な実力でも才能でもない
単にフレッシュだということだけなんだろう(笑)
けれどある時から、自分の中での新旧がうまくバトンタッチしていく感じで展開しなくなっていく
今までならば、このタイミングでか誰かが手を差し伸べてくれるはずなのに、そのタイミングが段々と遠のいて行く
かと言って、私の事なのでジタバタはしない
ましてや、私のことなので(笑)、媚びてこちらから営業的な言動やアプローチもしない
そうなると、歳と共に今まであったそれらのハプニングは起こりにくくなってくる
17歳から仕事を始めて、仕事の途切れた事はなかった
しかも、向こうから仕事はやってくるもんで、私は何もしなくてもいつも仕事があった
全国を回り、大きなコンサート会場で演奏をしてギャラをもらう
テレビのレギュラーは数本あり
それが、当たり前だった演奏家時代がある
勿論その時は事務所に属していた
25歳でフリーランスになり、29歳で作家になってからも信頼関係のある沢山のクライアントがいてくれて、変わらずに忙しかった
だから
今の私の自主ライブ活動のように、自分で何かを設定したり、ギャランティが決まってない(笑)なんて事は、びっくりな事で、初めはとまどった
そして、それらのライブ活動とは、ギャランティが決まってないのは当たり前で、お客さんは自分達で動員をかけ、歩合でしか演奏料がもらえない
集客動員は、主催者がやるものであって、演奏者がやる事でないと育って来たので(笑)
14年前に、演奏活動を再開した時には、そのライブハウスのシステム?みたいな物にに驚いたもんだ(笑)
P.S.肝心な続きは、明日書きます
本日はここまで
おやすみなさい
P.S.
さて一晩明けて・・・
続きを書こうと思っていても、何を書こうとしていたのか思い出せない(爆)
これで良いんでしょうね(笑)
そうしないと
悲しいことも遠くへやれない物ね・・・・
また、書きます(多分、思い出さないと思うけど)
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