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違和感の

執筆者の写真: ERIKOERIKO

あちこちで、今回のCoronaにおける新しい確認というか、露呈について何度も書いてるんですが、ネットでも随分その事について書いてる方が居る(勿論、プロの筆者の皆様)


昨日、ブログ書いた後に思ったんだけれど、本来これだけ芸歴長くて、しかもアーティスト系じゃ無い職業音楽家なのに、自分がそこに染まってないことが苦痛の始まりなんだろうな〜と思った

心は、商売音楽屋じゃないんだな、これが


その部分で苦しいというか、ま、自分はそれがまともだと思ってるんだけど、普通は染まるわけでね、どっぷりと


染まっちゃってたら、精神的には楽だったんだと思う

ジャズミュージシャン的なメンタリティーを持ったまま、職業音楽家をしてることに違和感が生じるわけでね


でもさ、本来はそうで無きゃいけないと思うよ


この半分芸能界みたいな世界、音楽界で生き延びて上に行くには、純粋な音楽の内容〜ということだけでは、生き残れないわけだからね

みんな、ずるいこと考えてる訳ね(笑)私は、そこをクリア出来なかったんだなってね

出来ないんじゃ無くて、そうしたくなかった〜が正しいんですけどね


そして


大きなヴィジョンていうか、最終的な目的が良質の音楽〜ではなく、地位だったりお金だったりする人は、純粋な音楽を目指すことよりも、如何に仕事をもらえるか〜という目標の方が優先するんだろう。


そこが、大きくジャズマンとは違うところかな


その部分で、自分は少し変わってるのかもしれない

ま、んなこと普段言わないけどね(笑)私の心の中にはその物差しが

いつもある訳ね


かといって、きれい事だけでは生きていけない

でも、自分は演歌をやるときも、ジャズをやるときも、歌謡曲をやるときもフォークサウンドをやってるときも、志はすべて同じレベル意識の中でやってる。いや、やってるというよりも、自然とそうなる。


この仕事は、この程度で良いかぁ〜なんて思った事は一度も無い

どの仕事も、私にとっては良い音楽にするための志は、同じなのである


けれどね

仕事が来なかったら、何も発信出来ないと言うことはある


でも、だからといって、本来、自分たちがやるべき事〜良い音楽を作る奏でるということから、どんどん離れていき、別の技術(笑)身につけたとしても、それは私にとっては余り意味が無かった


んだったら、自分の好きな音楽を好き勝手にやってる方が、楽しいからね


若い頃は、そこの問題で悩んだし、違和感を感じてたな〜


こっちの世界に来れば、純粋に実力だけで評価されるんだろう〜と思ってシフトしたわけだけど、全然そうじゃなかった(笑)

事務所の力、マネージャーの力、その他沢山の固まりによって、業界は回されている


結局、そう言う意味ではどのフィールドにいても、力関係や組織〜という物は存在するわけで、それらを利用しないと、自分のとっての快適な環境や状況や条件なんか回ってくることが無い訳ね


そこのはざまで、ずっと生きてきてるので、バランス〜というのが、とても大切になって来る


以前、パートナーだった人は

このバランスが絶妙だったことに気がついた


私のその人への尊敬は、それに尽きることに気づく


その前のパートナーさんは、これまたまったく逆だった(笑)


私が他人との共有出来る部分が、その部分だったことに気づく

一番大切にしている、私のマインドを共有できてるかどうか


「もっと媚びて生きなさい〜才能はあるんだから〜」というパートナーと

「媚びる必要は無い〜闘いなさい〜」といってくれたパートナーと


今は、何が自分にとっての支えだったが良くわかる


音楽家は、そのプライドとマインドを大切にして生きていて欲しいと思う

みんなが、ずるいことをしなければ、音楽的レベルも自然と上がって行くはずだからね


写真は


今日の朝飯と


昨日の朝飯












だから

人間は、今の状況のように

余裕が無くなると、本質の部分が露呈するからね


清く生きたいです


音楽家である意味はそこだと思ってるから

それに尽きます



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