普段気が付かない事でも、何か特別な状況の時に、その人がどんな人で、どんな能力の持ち主で、どんなパワーを持っているかに改めて気づかされる事がある
顕著なのは、テレパシー的なものだ
そして、レスポンスのタイミングや動物的な勘というか、鼻が効くと言うやつだ
私が、、あ、この人は〜と普段から思っている人は、何も知らせてなくともここぞと言う時に絶妙なタイミングで接点を持てる
そして、私の痒い所に手が届く系なアプローチをしてくれる
その人達は、要するに特別な能力を持っている。私から見て、只者じゃない特別な人だ
それに対して、あ〜やっぱこの人これだから駄目なんだなと言う人たちは、肝心な時に何も存在を示さない
だから、それら、私がピーンと来る人たちは、ある意味特殊な能力に近いものを持ってるように思う
ある方は、何故か私が動物病院にいる時にかならずアクセスをくれる
なにも知らせてないのに
何故?嘘でしょ?
と言うタイミングだ
何処かで追跡されてたんじゃ無いかと(笑)思うくらいに鼻が良い
そして、以前からそうなんだけど、同じタイミングで同じことを考えていて、今言おうと思ったのに!と言う同体の思考の時が多々ある
その時に、私は「あ、この人やっぱり待ってるなぁ〜」と思う
そして、逆にいつも肝心な時に、私を不愉快にさせ、足を引っ張りとんでもない的外れな事を言う人を見るたびに、あ〜この人これだから、この程度なんだなと思ってしまう
多分、それは対、私
だけでなく、他のどの場面でも同じようなことしてるんだと思う
人間の素質や科学では説明できない「なにか」と言うのは、ある特別な瞬間に遭遇することができる
けれど、私の周りには本当に数少ない数人しか居ない
そして、その度に
あ~やはりこのひとは流石だなと思うし本物だなと思う
そして、バックボーン的には
それらの特別な能力を持ってると思われる人達は、苦労人である
だから、経験値的な要素ももしかしたら半分はあるかもしれない
多難な人生を乗り超えてきた分だけ
特別な物を持っている
もしかしたら、それは
苦労した分に対する神様からの贈り物なのかもしれない
逃げまくって臆病な人生しか送ってない人には、与えられない
そんな特別な何かを発してる人が
この世にはいるんだよね
P.S.
そういう意味で
つまんない人には
興味のないわたしなのであった(笑)
特別なひとが
私はやはり好きだし
同等に付き合える特別なひとなわけだ
P.S.2
親父が死んだ時に、浄土宗の本を貪り読んだ。死という事をどう理解し、どう自分に納得させるかを知りたかったからだ
何ヶ月も毎日、読経を唱えた
私も親父も安らかになれるのならばと
その年は、もう一つの悲しい事件があったのでね(笑)
今回もある意味同じかもしれない
別れは二つ続いたようなもんだからね(笑)
私には、それらは二つでひとつの組み合わせなのかも知らない
ま、悲しみが
一度に済ませて良いのも知れないけどね
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